休学理由と将来と
最近よく喫茶店に行きます。
何もかも甘いフィリピンでは苦いものが美味しく感じる。
店員さんとのしょうもない会話が楽しかったりします。
今回は休学理由と将来とかについて書こうかなと、セブの観光情報とかも書こうと思ってたけどそんなものは世の中にはいて捨てるほどあるし、もっと詳しい人に任せよう。
でもこないだ行ったシキホール島については、出回ってる記事も少ないから詳しく今度書きたい。
とりあえず今回の記事はこの先自分で見直すためにも書かなくちゃいけないと。
なぜ休学という道を歩んだのか
・留学をして英語を話せるようになるため
・幼いころから憧れていた海外での生活をしてみたかった
・自分に嘘をつきたくない
・若いうちに多くの経験をしておきたい
・・・etc
ぱっと思いつく限りはこんな感じ。
たぶんしっかり考えたら理由はフィリピンにあるジョリビーくらいあります。
留学して英語を話せるようになるため
これは大昔から思っていたこと、日本国内で完結する人間には絶対なりたくない
将来どういう形であれ国際社会で活躍できる人間になりたい。
これは本当に昔から変わらない目標。
今は小説家になりたいってまじめに思ってるけど、それでも海外とかで活躍したい。
それには英語は不可欠、海外で勉強した方が確実に英語力は伸びる。
だから留学した。
でもなんで大学のプログラムをドタキャンして、休学してフィリピンっていう道を選んだかというと
もちろん費用対効果、時間対効果を考えた面も大きい。
でも一つの大きな理由は大学っていう肩書きを無くしたかった。
というのも、今まで正直大学の名前のおかげで得してきたことは多かった。
「早稲田だからね」っていう言葉を何回聞いたことか
もちろんもともと早稲田ならどこでもいいと思い、6学部も乱受けしたほど死ぬほど入りたかった大学。誇りにも思ってる。
けど、そういう肩書きを一回なしにしてみたいなと思った。
やから一回休学して肩書きをなくしたいなと、まあ大学に所属してることにはなってるけど
早稲田生なんか一つの市が成り立つくらいこの世の中にいる。「早稲田生だからこうだ」みたいなのはないと思う。
就活とか将来とかでたしかに学歴は大事。今後も学歴には助けられるかもしれへん。けど結局学歴はアクセサリーに過ぎない。
いつでも大事なのは自分自身。素っ裸でも勝負できるようになりたい。
幼いころから憧れていた海外での生活がしたかった
これはそのまま。
長い期間日本に戻らず海外で生活してみたかった。
いろんなとこで生活してみたい。日本以外の空気を味わってみたい。
それだけ、、、、
自分に嘘をつきたくない
これは自分のバックグラウンドにもかかわってくる話
今回休学ということでほんのちょっとだけレールから外れてみました。今後はもっとそれ続けるかもしれへん。
もちろんレールに沿うっていうことは悪いことではないと思う。
もちろん大多数が行うっていうことはそれが一番安全で、生きやすくて、幸せになった人間が多いってことを歴史が証明しているから多くの人がその道に進んでる
だから絶対にそっちに進んだ方が幸せになる確率は高い
幸せの定義は置いておいて
自分は9歳の時に母親、15歳の時に父親を亡くしてます。
この事実は自分の人生を形作る大きな要素になった。
これを言うとみんなにめっちゃ苦労してきたんじゃない、とか言われるけど自分の場合は周りにたくさん助けられたからそうでもなかったと思う。苦労してないって言ったらウソにもなるけど(親いなくなると20歳になるまでは使ったお金を税理士に報告しなくちゃいけなかったり、そういう法律的なところも大変だった)
まあでも両親の代わりはやっぱおらんし、親っていうのは、どんな親だったとしても、子供にとってはかけていけないものやと思う。そこはなくしてから気づく部分が多かった。親いる人はいるうちに親孝行して置くべきだと思う。早めに。
まあとりあえずそれは置いておいて、高校の頃まではそういう状況もあったからずっと普通がいいなと思って、しかもなんかこの話すると場の空気白けるし(なんかそういうキャラでもなかったし)
やから高校とかでは自分がこういう状況っていうことを頑なに隠してて
親の話とかになっても適当に話し作ってた
小中は田舎で9年間同じクラスやし、同じ地域やからみんな知ってたけど
高1の時に父親が亡くなったんやけど、ちょうど文化祭と被って、その時室長してたのに文化祭休んでしまったんやけど、それも親戚が亡くなったってことにしてた。先生は知ってたけど口止めしてた。
今こうやって普通に言えるのは大学入っていろんな人を見て、自分なんかより悪い状況から育ってきた人なんてたくさんいるってことに気づいたし、まあ事実なんやから隠してもしゃあないかなっていう感じに考えが変わったから。高校の時なんで頑なに隠してたんやろと思う。
んで普通のふりをしてたわけやけど、やっぱ自分の中の事実に反してることするのは大変やし自分の本心というか事実を裏切ってる。要するにずっと自分に嘘をついてた。
その時の感じはなんか表現しづらいけど辛いっていうより、気分が悪かった。。
まあなんかちょっと話が繋がってない気もするんやけど(自分の中ではしっかりつながってる)
そういうのもあって自分に嘘をつくのはやめようと思った。
なんか自分のなかで事実があるならそれに反する行動はとりたくないなと
だから大学を4年で卒業しなくちゃいけないとか、3年なったらサマーインターンに行かなくちゃいけないとか就活で受かるためには前髪を切っておでこをださないといけないとか
そういうのは嫌でもしなくちゃいけないことだと前までは思ってた
けど自分の本当にしたいっていう事実があって、それを捻じ曲げてまでしても自分が苦しいだけかなと思う。
だから今回はちゃんと明確な理由もあったし、レールからちょっと外れてみた。
本気でやりたことがあるっていう事実から目を背けるのは自分を苦しめると思う。
若いうちに多くのことを経験しておきたい
これは本当に思う。若いうちに経験したことは必ず後に反映されると思う。
やから早いうち、なるべく若いうちにいろんな世界を実際に感じてみたかった。
何を得て、何が反映されるかなんか分からへんから今は欲張ってなんでも手を出してみよう。いい意味でイエスマンみたいになりたい。
そして、ものを書くっていう上でも経験を積むっていうのは本当に大事。
自分が最初書いた作品があって、そこで自殺を考える主人公をテーマに書いてたんやけど
ストーリー的にはええかなと思ったけど、俺自殺しようと思ったことないし、リストカットのシーン書こうと思ってんけどしたことないから全然リアルに書けへんだ。
んでリストカット試してみるかって思ったけどビビッてできなかった。
要するに経験してもないことをリアルに書くのは難しいなと思う。想像だけで驚くくらいにリアルに書く作家もいてる。でもそんな才能は自分にはない。
やから作家になるためには多くの経験をつまないといけない。
どういう経験が大事とかはわからない。けど、とりあえずできる経験は全部経験してみたい。世界中にある色んな感情を味わってみたい。
そしてそれを直に活かせるのが作家っていう職業やとも思う。
そもそも小説家をなぜ目指そうと思ったか
まず、小説にハマったのは高校3年の時、3年始まるまでバンドをずっとしてて全然勉強してなくて、でも夏休みに偶然行った早稲田に憧れ、一浪してもいいから受けようとなった。
でもそれまで全然勉強してなかった俺は国語の偏差値が40くらいしかなかった。
とりあえずどうしようって感じでなんか本読んでおけば国語の成績あがるみたいなよくありげなことを思い出して、本読み始めだしたのが小説にはまったきっかけやったなと(結局国語の成績は古文漢文が足を引っ張りセンター90/200点っていうひどい成績やったけど)
堕落していく男の姿がすごい美しく書かれていた、やっぱ太宰ってすげーなとか思ってた
そこからいろんな本を読んだ。多くの有名作家が早稲田出身ってことで勉強の熱も上がった。
そんなこんなでぼちぼちいろんな本を読んでく中、大学2年の夏に村上春樹の「1Q84」を読んだ。
話の内容もだけど展開と場面の移り変わりのうまさに感動した。
読んでてめっちゃ鳥肌がたった。
その時に「やばい、俺も自分の作った作品で人を感動させたい」って思った。
それが自分の目標の始まり。
もっといろいろ理由あるけど長くなるからまた書きます。
3500文字も書いてしまった。笑
長いレポート一本分になっちゃった。
うまくまとまらなかったけど今回はこれで終わりにします。
読んでくれてありがとうございました。
今日書いたことはほんま個人的な意見なんで、一つの意見やと思って取っておいてください。
やっぱり口調に統一感がないや笑